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オキナワ戦の女たち ~朝鮮人従軍慰安婦
福地曠昭
1,748円+税
南島叢書64 / B6判 / 288頁
悲惨極まる沖縄戦に強制連行され、日本軍に性を蹂躙され殺害された朝鮮人慰安婦たちの歴史的事実を追い、終わらない「戦後」を問い返す。封じられた久遠の闇から女達は告発し始めた。
2023.10.18
西表島の炭坑村、白浜にも慰安所があったといわれる。
この慰安所には慰安婦が約10人ほどおり、台湾、朝鮮、沖縄本島から来ていた。なかでも朝鮮人が多かった。美人は憲兵や将校がわがもののようにしていた。白浜には大正のころからこの種の慰安所があったらしい。しかし、そのころは炭坑夫相手の遊女がもうけのため流れ渡ってきたものである。
日本軍で西表に陣地を構えるようになってから軍専用の慰安所に変化したのだろう。それも空襲がはげしくなると朝鮮人慰安婦らはどこへ去ったのかいつの間にか消えていた。ちなみに白浜は1945年に入って米空軍機の攻撃がはげしくなり、4月2日に部落民が仮小屋をつくって避難している最中、部落は米軍機の空襲に見舞われ全焼した。坑夫たちは難をのがれたものの、栄養失調とマラリヤで多くが死んでいった。
「強制連行の調査報告書」には、台湾から連れてきた朝鮮人女性で構成する慰安所が白浜にあったと報告されている。兵隊用で、彼女らは夜になって内離(うちばなれ)島に連れてこられた。
白浜部隊には木下という内地人が、日本人女性だけ約20人を連れてきて慰安所を設けた。これは日本軍将校と下士官用で、兵隊専用の朝鮮人女性とは区別されていた。同じ調査で、租納(そない)にも慰安所が設置され、与那国から連れてきた日本人慰安婦がいたことが知られ、その中に一人の朝鮮人女性がいたことも明らかにされている。
また、小浜(こはま)島のナクトーとニシンダという所に慰安所があった。上官が泊まっていたようである。
各家庭から畳2枚ずつ出せとの軍命で、学校の床板もはぎとって慰安所を完成したという。石垣市内には戦後まで慰安所がおかれていたが、朝鮮人慰安婦が何名いたかは不明である。
「西表島の慰安所」より