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  • 異端と孤魂の思想 ― 近代思想ひとつの潮流 ―
  • 異端と孤魂の思想 ― 近代思想ひとつの潮流 ―

    綱澤 満昭

    2,000円+税

    一般書 / 上製 B6判 / 300頁 / 2016/5 初版

    ISBN 978-4-87616-039-6 C0030

    日本の近代思想の中で、著者は島尾敏雄、岡本太郎、橋川文三、深沢七郎、赤松啓介らの思想を「異端の思想」、そして東井義雄、小林杜人のそれを「孤魂の思想」として位相を与えている。
    島尾はヤポネシア論、岡本太郎は縄文土器、橋川文三は日本浪曼派、深沢七郎はムラ社会、赤松啓介は性の民俗学、それらを柳田国男の民俗学との対峙によって、著者はそれぞれの「異端」を鮮鋭に浮かび上がらせている。
    一方、東井義雄と小林杜人について著者は、日本人の最も情緒的な感情である肉親の情に思想が敗北する「転向」へと向かった二人を孤独な魂、すなわち「孤魂」と名付けている。
    どちらも近代日本の精神史から日本人とは何者かを探り当てる上で、いわゆる学校のテキストから抜け落ちた、いや故意に隠されたものだと著者は断じている。
    そして、巧妙に隠された思想を補完することによってしか、日本人の精神を深く理解することはできないと言っているのである。

    2023.10.19

異端と孤魂の思想 ― 近代思想ひとつの潮流 ―

異端と孤魂の思想 ― 近代思想ひとつの潮流 ―

綱澤 満昭

2,000円+税

一般書 / 上製 B6判 / 300頁 / 2016/5 初版

目次

島尾敏雄の故郷観とヤポネシア論
国家が創出する幻想としての故郷/島尾敏雄にとっての故郷/柳田国男にとっての故郷と国家/「奄美」を故郷にしたかった島尾/ヤポネシアという視点/谷川健一が指摘する柳田民俗学の欠陥

岡本太郎と縄文の世界
柳田国男の功罪/岡本太郎と縄文土器の出会い/岡本の「縄文」 と島尾の「奄美」/偶然性が生む「祈り」と「美」/芸術家 岡 本太郎の思想/岡本太郎にとっての伝統/宮沢賢治と岡本太郎 

橋川文三私見
橋川文三ふたたび/日本浪曼派への接近/日本浪曼派の問題点とイロニー/農本主義と日本浪曼派について/「米つくり」の思想/昭和維新への思い/朝日平吾の精神/渥美 勝の桃太郎主義/「阿呆吉」

深沢七郎のこと
「楢山節考」と母親像/「ムラ」の維持と人間/深沢の「庶民」/深沢の死生観

東井義雄の思想
東井義雄のおいたち/東井の思想と時代背景/「学童の臣民感覚」/東井の沈黙/「村を育てる学力」/国家の教育に符合した東井の思想

断片的赤松啓介論
赤松啓介と柳田国男/赤松が柳田民俗学に投げかけたもの/赤松の性に関する民俗学/「非常民」の民俗学

小林杜人と転向
吉本隆明のいう「転向」/小林杜人の転向/杜人を転向へと向かわせたもの/「転向」への決意

あとがき 
  

「断片的赤松啓介論」(赤松の性に関する民俗学) より
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 赤松がこの夜這いの問題に執着したのは、柳田民俗学の空白部分を埋めるというねらいがあったのはいうまでもないが、しかし、それだけではない。夜這いを肯定することは、教育勅語などによって、性の統制をはかろうとする国家権力に対峙する意味を推し量る必要がある。教育勅語など国家がもってくる道徳・倫理などを後生大事に守っていたら、ムラの活力は弱まり、ついには崩壊するであろうと赤松はいう。  
 いま一つ彼は重大な視点を投げかけている。それは性習俗の弾圧と資本主義の発達との関連である。  
 夜這いなど性習俗を禁止・弾圧するということは、国家的規模の遊廓・その他の遊所による巨大な税収につながるという。赤松はこういう。

「明治政府は、一方で富国強兵策として国民道徳向上を目的に一夫一婦制の確立、純潔思想の普及を強行し、夜這い弾圧の法的基盤を整えていった。……(略)……農村地帯で慣行されている夜這いその他の性民俗は、非登録、無償を原則としたから、国家財政に対しては一文の寄与もしなかった。……(略)……明治政府は、都市では遊廓、三業地、銘酒屋その他、カフェー、のみ屋など遊所の発達を保護、督励し、はるかに広大な領域の農村にも芸妓屋、料理屋、性的旅館、簡易な一ぱい屋などの普及、……(略)……ともかく、そうした国家財政の目的のために、ムラやマチの夜這い慣行その他の性民俗が弾圧されたことは間違いない。」(『夜這いの民俗学』明石書店、平成六年、八五〜八六頁)

 このように赤松が夜這い、その他の性習俗をとりあげるということは、ただ面白く、おかしく性を扱っているのではない。そこには、天皇制、国家権力、資本主義の発達などとの関連で、そこを見抜く力が生活体験から常に彼のなかには宿っていたのである。   山人への関心が強かった頃は別として、柳田には、極論すればムラの習俗というものは、国家の支柱となるものでなければならなかった。逆にいえば、国家に弓を引くようなものは捨てるか、見て見ぬふりをして郷土の習俗から抹消してしまうようなところがあったように思われる。