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一般書

もう一つの空海伝

注文する書籍の紹介丸谷いはほ 著
とうとう百日目を迎えようとしていた。
 その日は前日から雨が降りはじめ、昨夜は仕方なく小屋の後ろの石窟で寝た。いつも通り目を醒ますと外はどしゃ降りだった。真っ暗だった辺りが白みはじめて来た。 
 「今日は満願の日だ」
 無空は、一言つぶやくと僧衣を脱ぎ、下帯(したおび)まで取って外へ出た。どしゃ降りの中で身体を動かした。身体を前後左右に揺さぶり曲げ、屈伸をした。一層髪は伸び、髭も濃く長くなっていた。雨は身体を打ち続けた。無空は近くに生えていた草をむしり取ると、それを丸めて全身をこすり始めた。身体はみるみる赤くなり、そして温かくなって来た。草が千切れて胸や手足に付いたが、雨がすぐに洗い流した。
 無空は東の方を見た。銅岳の左の方角である。いつもその辺りから朝日が昇るからだった。雨の中でいつもどおり瞑想を始めた。腹式呼吸による瞑想は、言霊の威力を強くするためのものと聞いていた。
 いつも坐している蔓を編んだ褥(しとね)はこの雨でびしょ濡れだった。一刻ばかりの瞑想を終えると、虚空蔵菩薩の真言の唱名に入った。
 前日に確認していた。
 今日で間違いなしに百万回を超えるはずだった。幸いまだ咽は潰れていない。よし今日こそ成満(じょうまん)できると確信に近いものが心の内にあった。
 無空は虚空蔵菩薩の真言を唱え続けた。

 ナウボウ・アキャシャ・ギャラバヤ・オン・アリキャ・マリボリ・ソワカ  ………
ナウボウ・アキャシャ・ギャラバヤ・オン・アリキャ・マリボリ・ソワカ  ………
ナウボウ・アキャシャ・ギャラバヤ・オン・アリキャ・マリボリ・ソワカ  ………
 
 自然と声が大きくなった。天にも届けと無空の声帯は震えた。無空の頭蓋骨(とうがいこつ)も背骨も全身の骨という骨が振動した。肉も霊魂も共鳴して打ち震えた。無空の全身全霊をうつした言霊が宙に飛翔しようとした瞬間、臍下丹田(せいかたんでん)の奥の中心部辺りから背骨の随を一気に電撃のような感覚が駆け上がった。さながら昇龍が自分の身体から天空に立ち昇ったようだった。無空は大地から立ち上がったまま暫く動けなかった。
 間違いなく百万回成満できた瞬間だった。このとき無空は二十二歳になっていた。
 雨はすでに上がり、あかね色の西の空には宵の明星が輝いていた。
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「銅岳白雲庵」より
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